北野天満宮終い天神(しまいてんじん)は例年12月25日に行われる天神市(てんじんいち)のことです。天神市(天神さん・天神)は北野天満宮の祭神・菅原道真(すがわらのみちざね)の誕生日(845年(承和12年)6月25日)と命日(903年(延喜3年)2月25日)に因んで毎月25日に行われているが、1年の最後の天神市は特に終い天神と言われ、1年の最初に行われる1月25日の初天神(はつてんじん)とともに特に賑わいます。天神市では普段骨董品・古道具・食べ物など約1,000店が出店されるが。終い天神では新巻鮭・数の子などお節料理に欠かせない食材やお正月飾りなどの正月用品、翌年の干支の置物やカレンダーなどを販売する店が現れ、それらを買い求める市民や観光客で終日大変賑わいます。
天神市は現在東寺で毎月21日に行われている弘法市(弘法さん・弘法)とともに京都を代表する有名な市です。ちなみに京都では「弘法さんが天気だと天神さんは雨が降る」とか、逆に「弘法さんが雨なら天神さんは晴れる」などと俗に言われたりします。京都の天気は4・5日で変わることを意味しているそうです。
菅原道真は899年(昌泰2年)に右大臣に任命されるが、901年(延喜元年)に左大臣・藤原時平(ふじわらのときひら)の讒言(告げ口)により、太宰府に左遷され、903年(延喜3年)に亡くなりました。道真の死後、都では悪疫が続き、道真の怨霊の仕業と恐れられました。その為道真の死後20年目に朝廷は道真の左遷を撤回して官位を復し、正二位を贈りました。993年(正暦4年)には正一位・右大臣・太政大臣を追贈しました。
お節料理は元々中国から伝わった五節句(1月7日の人日・3月3日の上巳・5月5日の端午・7月7日の七夕・9月9日の重陽)の行事に由来し、奈良時代に朝廷で節会(せちえ)して行われるようになり、江戸時代に一般庶民に広まり、江戸時代後期に重箱に料理が詰められる現在のようなお節料理(正月料理)になったと言われています。