銀閣寺とは室町幕府第8代将軍足利義政は、第6代将軍義教の庶子でしたが、兄の死によって将軍位を継ぎました。しかしその頃には重臣達の対立により幕府の権力構造は破綻しており、また自身の後継者問題もあって、ついには応仁の乱が勃発します。
京都を席巻した戦乱によって義政は政治への興味を失い、子供に将軍職を譲ってひたすら趣味の世界に没頭するようになります。幕府の政治から逃れるため義政は風流人を集めて書画や茶湯に没頭できる山荘を求めます。こうして建てられたのが、「東山殿」でした。
義政の死後、1490年にこの山荘は「慈照寺」という名前の寺院に改められ、現代では人気の観光スポットになっています。
金閣寺との関係は金閣寺は義政の祖父で第3代将軍の義満が建てたものです。室町幕府が最も隆盛を極めた頃の建築で、ここを拠点として豪華で貴族的、大陸風の「北山文化」が栄えました。
それに大して義政の銀閣寺を中心とした「東山文化」は幽玄、わび・さびといった、静かで抑制された文化を体現しています。